三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 151 200㎞/7時間は広い国土に少ない人口 スウェーデン 北欧 No.642

先日、実家に郵送された「東急リバブル」からの「不動産売却案内」。

裏面に「空き家のこと考えませんか?」「相続した家の売却は東急リバブルにおまかせください」と書いてあるようですが、「まだ親は生きてる」し「相続してない」し「空き家ではない」ので、そのまま「受取拒否」でポストにポン!

どこでどう調べたかは不明ですが、「神経を逆なでする」という言葉を思い出しました。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

 

8月25日(月)

北欧スウェーデン滞在8日目。

フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ⇒デンマークスウェーデンへ。

(地図や小文字の文はグーグルマップ/Copilotより)

 

3カ月前、イギリス・スコットランドユースホステルで出会ったご縁で、スウェーデン人カッレの家に泊めていただくことに・・・。

その家のある場所は3日前の朝夜行列車から降り立った、首都ストックホルム北西の町ルドビーカ(地図↓↓左中央)から50㎞西方、山の中の小さな村(フレドリクスベリー)でした 。

(↓↓右端中央・ルドビーカから西方/左端中央・フレドリクスベリーまで なぜか中央にもルドビーカがある 水色は大小さまざまな湖沼)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPx0UEdDi8Zy7TXrDZ7Jm6FxfWPm4MaNC3Zt2BU=w426-h240-k-no

(現在、フレドリクスベリーにはSnowCampと言う名の子供に人気の屋内スポーツ施設があり、屋外スキーが苦手な方でも楽しめる場所となっているようです)

 

早朝6時55分。

寝ている両親を後にカッレにお礼を言い、50㎞東方ルドビーカ(地図↓↓左中央)行のバスに乗りこみました。

ひたすら平坦な道を左右に湖沼を見ながら、8時10分の終点まで途中で人を拾い、また人を拾い・・。

日に2本のバスでは自然と座る場所が決まっているかのようでした。

 

その中で大きなリュックをしょったアジア人バックパッカーは異質に写ったのかと言われれば、決してそんなことはなかっただろうと言えるのは、おそらくこのような奥地でもバカンスで国内外に出かけて他国人と接する機会が少なくないからかと思われました。

それはラズベリーとブルーベリーの量り買いを行っていた業者さんもそうでしたし、これまでに出会った方々に共通して言えることでした。

差別を感じなかったのは一部を除けばこれまでの国も同じでしたが、比較的”外人”を見かけることの少ない田舎なら国によっては・・・どうでしょう。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMYo7YxeDFW4JDp_vYK63XF0tg-b_pd-_ebRQVR=w408-h306-k-no

(沿線)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMDIpLJcxmSbQhKqsQEys5G7LShJAeT7EbFzrgr=w426-h240-k-no

(サイクリングもできる カフェ併設の”浴場/水泳施設”)

 

高校は駅から離れているらしく、バスから降りた生徒たちの目の前に今度はスクールバスが待っていました。

 

(便せんメモより)「スクールバスにどっと(乗り込む)美女!」

「顔白、目(瞳)の青さが目立つ 金髪も」

それは、入国前にイメージしていた北欧の女性(*見た目です)が現れた瞬間でした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMvDLWopUv1mfqIz9czLnaGZEjlBm--HSk7jAG3=w493-h240-k-no

ルドビーカマクドナルド 評判は可もなく不可もなく? ★ドライブスルーに40分/カップに半分のファンタ///ほか)

 

ルドビーカから2時間20分待ちで乗った、10時30分発首都ストックホルム行電車は2等車2両、”準備室”が半分の2等車、1等車の計4両でした。

途中、左右に”ぼこぼこ点在する”湖の間を走り、乗り換え1回。

ストックホルム中央駅には15分遅れの13時40分到着でした。

 

広い国土に少ない人口。

面積は日本の1.2倍

当時800万人だった人口は今や約1050万人(*日本の12分の一/東京23区くらい)。

 

「200㎞超えの道のりを早朝6時55分から7時間近くかけての移動」は時間がなければとても組めない行程でした。

当時”そのような行程を気(苦)にしない”で済んだわけは、「西ヨーロッパを2カ月間2等の鉄道他交通機関に乗り放題のユーレイルユースパス」の存在があったからにほかなりません。

 

加えてこの日は到着後スーパーを探し”物価高の国でじっくり品定め(仕入れ)”、ユースホステルまでの2.5㎞を道に迷いながら1時間以上歩いてしまいました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPrFTlBR9FvxBTIpBEW3lrOa_dHJNcrySPF9icy=w408-h306-k-no

ストックホルム中央駅そば 市庁舎 鐘楼を配した赤レンガ造り 1923年落成

入場料2278円)

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOZA7ZuWZCfTZFxlpSgstOCXRWnw_mkZkpXz35I=w408-h271-k-no

ストックホルム中央駅近く 湖の中州にある国会議事堂/連邦政府庁舎 1905年創設 地下トンネルもある)

 

(メモより)「水の中に街が存在するので、歩いていると水ばかりが目に入る」

日中の気温は13度が最高か?(*8月25日です)」

 

16時10分、気温は下がり”電光掲示板”は9度・1017ミリバール(現ヘクトパスカル)を示していました(*湿度不明)。

 

やっと見つけたユースホステルは事務所と食堂が一緒の建物で、ベットが8つ並んだ部屋(ドミトリー)が隣接していました。

希望者には貴重品ロッカーや冷蔵庫(個室)、それぞれ5クローネ・140円もありましたが・・。

 

さらに、”ユースホステルスーパー(売店)”にあったのは(一例)、

コカ・コーラ 300ml 7クローナ・200円

ハンバーガー 15クローナ・415円

・ヨーグルト 125ml 6クローナ・165円 

と、先ほどのスーパーと比較できたので見るだけにしました。

 

通貨単位はスウェーデンクローナ(SEK)で1クローナ=約27.5円(*現在もクローナ

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

夕食(自炊)のあと出会った、夏休み旅行中の日本人女性と話しが弾み、自分が入れた日本茶ティーバッグ)”と彼女が出した”ミニようかん(あずき)”で異国で食べる”日本の味”をうまいね~おいしいね!と言いながら味わって食べた幸せの記憶は、便せんメモに書いていなくてもいつまでも覚えているものです。

 

話しをお開きにし部屋に戻ったのは23時。

その頃外の温度計は6度を差していました(*8月25日です)。

 

そのことに、”氷点下は近い、真冬日は9月か?降雪も?”と、これから回る右(東)のフィンランド、左(西)のノルウェー行を覚悟するバックパッカーでした。

 

 つづく