三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地県境移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 242 上下青い トルコ No.733

南国の激安ゲストハウス(1泊1000円台〜)

ぱっと見まともに見える?も建物は老朽化 2年後契約更新なしに廃業予定とか、、、

 # # #

今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。

西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。

地図・写真・小文字はグーグルマップ/Copilotより 

東西ドイツチェコスロバキアセルビアクロアチア他はユーゴスラビアでした

トルコの左(西)半分をおおざっぱに右回り

長居した第三の都市イズミルからエーゲ海ギリシャに渡る計画は、無情にも港で”船は4日後出航”と言われ足止め。

結局イズミルへ、その日のうちに戻りました。

1986(昭和61)年 11月17日(月)

イズミル滞在7日目。

チェシュメからギリシャ・キオス島(写真・上↑↑)行き船の出航(木曜日)まで待つ間、”時間が合えば安いローカル線に乗り遠出をする”もくろみは、少ない列車本数で日帰りできずにあきらめざるを得ませんでした。

 

ならばとイズミルの湾をフェリーで再び横断、対岸まで・・。

前回より範囲を広げ街歩きをしてみたものの、海辺のリゾートに連なる立派な建物以外さして興味をひく場所を見つけられず、空回り・・・。

当時では考えられないほどの繁栄ぶり・現在複数のショッピングモールがある街中

(47枚目のメモより)「無駄な一日になってしまった・・」

このころは、目的(目標)が持てないとパワーダウンする余裕?がありました。

湾内

1986(昭和61)年 11月18日(火)

12時のバスで再び港町チェシュメを目指すバックパッカー

右手に広がるエーゲ海は、”なんでこんなに青いのか”というほどこの日も青さを見せていました。

空の青さ(晴れ)はこの日でなんと10日目!

(メモより)「上下青い」

白壁の家が立ち並ぶ沿線

現在の海辺のキャンプ場 ゴミやトイレの衛生面に?マークが・・・

無事1時間半で港町チェシュメに到着した後は、イズミルのホテルで出会ったフランス人バックパッカーと宿探し。

ほどなく、八百屋を営むおじいちゃん経営のペンションを発見!

なんと、一室一泊1000トルコリラ・252円二人で割れば、一人500リラ・126円!!

 

通貨単位はトルコ・リラで1リラ・0.252円

国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇

 

宿は白壁の家々が立ち並ぶ街中立地で木の床(*どこに寝てきたと言われそうですが、これまでコンクリートの床も多々ありました)と申し分ない反面、部屋は”お値段相応”でした。

夏以来、いや何年も掃除をしていないのか、すごいほこり!

(メモより)「ベットをたたけば、机をさわれば、ほこりが舞い上がる~」

面白がってあちこちたたき・・・・・。

 

蛇口の塩っぽい水は飲めず、ミネラルウォーター 1.5L・300リラ・76円。

ワイン2本(各500リラ・126円)、塩気の強いブルーチーズ、プロパンガス(無料)で作った肉料理で楽しい夜を過ごしました。

 

背もたれのついた古い木製イスの、盛り上がった座面の一部が破れていて、へこみからわらが顔を出していたのを”修理と称し”、”持ち合わせていたゴミくずを詰め込む”二人。

まだ足りぬと”詰めもの”を競って探し、パンパンになるまで詰め込んで”修理完了~!”

腹を抱え、目から涙を流し、おなかが痛くなりながら大いに笑い合いました(*若気の至りで後日反省、、、)。

 

ギリシャ行フェリーまであと2日。

ありがたいことに明日ものんびりできそうでした。

海岸にある評判のよいチェシュメ城

口コミ

7 年前 邦人
 
城壁に登れます 親日の国トルコ また行きたいな ここで買ったチョコも美味しかった
 
 
イタリア人によって建てられたこの城は、町の海辺の広場に立っています。海に面しており、海岸線や対岸を見渡し、町全体を一望できます。入場料は100リラですが、外国人観光客は2倍の料金がかかります。城は石でできており、防御のために設計された 3 つの内部セクションで構成されています。内部にはいくつかの展示ホールがあり、そのうちの 1 つはチェシュメ沖でのトルコ艦隊とロシア艦隊の間の海戦を展示しています。もちろん、最も印象的なのはイタリアの建築職人の技です。
 
 

   つづく