5月末。
毎月恒例の支払い伝票各種を持って、最寄りの郵便局までウォーキング。
唯一郵便局が取り扱わない「県住宅供給公社が管理運営する市営住宅の家賃」は街中の銀行へ・・・(それぞれ事情があり”引き落とし”はしていません)。
前回歩いたのは春先?・・・・・などと考えながら、ほとんどすれ違う人もいない国道沿いの歩道を登ります。
今日の海は波もおだやかでいい感じ・・。
草むらにはさっそく”ワンカップの瓶やコーヒー缶・ペットボトル・たばこの空き箱・コンビニ商品のビニール袋など、新しいゴミ”が見受けられます。
ところが、復路ゴミ拾いをしようにも、ふだん持ち合わせているスーパーの買い物袋がないことに気が付きました。
”過去あったみたいに、どこかに袋が落ちていないかな・・・・・”。
いつもがらがらの郵便局で支払いを終えたあとは、もう少し先に進んでみよう・・・。
途中、尾根沿いの旧道から下る急な坂道が国道の下を通ります(交差します)。
つい3.4年前まであった”海に臨む養鶏場”の手前から”旧道”に入りUターン。
誰も歩いていない・車もほぼ通らない旧道沿いを行けば、さっそく野鳥の大きな声が聞こえます。
”コンコンコンコン”・・・高速のその音はキツツキ。
遠くに隣県(岩手)の半島と山山を眺めながら・・・時折国道を通る車以外は静かなもんです。
(旧道と国道45号線)
平地少ない土地は、山肌に畑(商売用ではない)を作らせ、高齢のご婦人が急な斜面を立って雑草取りの最中でした。
転げ落ちませんように・・・。
旧道沿いにかつてあった、古い郵便局の姿はなく、それは半世紀以上経過した”市営住宅(災害公営住宅ではない)”も・・・。
文化住宅と呼ばれた”平屋・二間”のその家は、昨春の災害公営住宅への移転後解体、一帯はシートで覆われ(雑草対策)更地になっていました。
廃校になって久しい集落の中心まで来て見つけた「避難場所」表示盤(写真↓↓)。
すでに学校名はなく、後を追うように保育園も亡くなりました。
そして今春、駐在所から駐在さんがいなくなりました(平屋の赤い回転灯は今も・・)。
(太い国道45号線と上を通る旧道)
集落唯一の商店は昨春閉店。
2年後の郵便局の見直しでもし廃止となれば、残る”砦(とりで)”は「老人憩いの家」だけになります。
1日2・3本の「バス停」も・・・。
字が薄くなりほとんど読めなくなった案内板は、まるでその役目を終えたかのよう・・。
変化を望まない(方が多いと思われます)まま、少しずつ、静かに、これからそれなりの年月をかけて規模を縮小していくのが自然の姿かもしれません。
帰り際、集落の方と話しをすると、ちょうどこの日は「ウニの開口(時間を決めて採っていい日」でした。
だから、朝7時台に家の目の前の坂道を、かなり長い棒(ウニを採る道具)を軽トラックにくくり付け降りて行ったのか・・・。
・卸値はなんと!たまごより安い・・・(殻付きの値段とはいえ)・・なので卸さず自家消費(”市場に卸さず自家消費する方も多い・翌日のニュースでは、市内他所は”たまごより高かった”)。
・中身を取るのは大変
・あわびの稚貝を食べるので”駆除”の必要はあるが、”採る人”が足りない(漁業者の減少・高齢化)
・採らないと海藻を根こそぎ食べて”磯焼け”になってたいへん
・それでも”漁業権”のある人しか採れない
いろいろな問題を抱えているようでした。
とは言え、漁業権と船外機付小型船(道具も)があれば”最低時給の何倍もの稼ぎ”はあるようでした。
”ウニ”と聞いてもそれほど食べたい気持ちにならなかったのは、きっと”ありがたい日々”を送ることがおおむねできているから、のような気がします。
もっと価値のありそうな”アワビ(鮑)”も同じです。
沿岸部にいれば、折に触れて”漁業話”を聞く機会はありますが、”ご縁”はなくてもOKです。