三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

東京圏 乗り鉄・撮り鉄天国なのは昭和から 鉄道ファン 国鉄 周遊券 No.413

アルバイトでためたお金で、夏休みに初めて旅をした先は東京でした。

アルバイトは新聞配達、水道管埋設のための穴掘り、乳酸菌飲料の配達、マンションの建設現場でのパイプ運びなど。

 

1987年(昭和62年)に国鉄が民営化される前にあった「東京ミニ周遊券・急行列車まで乗り放題・7日間有効」を利用して北から上野駅までは一本道。

「途中、列車によっては交流と直流が交わる黒磯駅(栃木県)で電気機関車交換8分」などもあった時代です。

古い電気機関車(ED71やEF15)が木造客車けん引する、長い10両編成以上の普通列車は途中特急・急行に抜かれるためにあちこちで通過待ち。

「宇都宮(栃木県)では48分(停車)」など、かなりのんびりすることができました。

 

やっとのことで東京に着いて直行したのは「まあるい緑の山手線~まんなか通るは中央線~新宿西口駅の前~♪」のBGMがあったヨドバシカメラ

そこで買ったばかりの一眼レフカメラとズームレンズ・広角レンズを持って、さっそく国鉄に乗車して、、、。

東京近郊区間内は乗り放題」といっても広すぎるので区間限定・事前に決めて。

「一日中電車に乗る(乗れる)」ことは大都市ならではの体験。

一応細かに時刻を調べてノートに羅列すれど結局は不要で、一部例外を除きほとんど待つこともなく乗車できる・・・。

 

行く先々で撮るは車両や機関車ばかり。

大きな駅で待ち構えて撮るは新幹線開通前の特急や急行列車。

今では通過点となった北の玄関・上野駅では以下が一例で、夜(夜行列車)は別メニューです。

列車名は漢字ではなく「ひらがな」。

「地名」「鳥の名前」「山の名前」「みずうみの名前」が使われるなか、「やまびこ」などという速さをイメージする名前も。

途中の駅で「合体(併合)」する列車はよくあり、逆の下り時は「分離」が待っていました。

「多層建て」は魚の骨をイメージするとわかりやすく、本線(中央)を行く3つの列車から枝線に離れる列車と入れ違いに、枝線から来た別の列車がくっついて、また3つの列車が本線(中央)を行く・・・これを何回か繰り返す。

よくダイヤ(時刻)どおりに運行されていたものだと感心するばかりです。

電車(M)に混じってディーゼルカー(D/気動車)が一部。

これに、機関車が客車をけん引する夜行列車や臨時急行列車が加わります。

「号数」は狩人が歌った「あずさ2号(下り)」と同じで、この時はまだ「上りは偶数」「下りが奇数」ではありませんでした。

 

東京駅のメイン(ディッシュ)はやはり「ブルートレイン(夜行特急列車・一部急行)。

・16時半発、長崎、佐世保行き「さくら」を筆頭に、

西鹿児島(現鹿児島中央)行き「はやぶさ

・熊本、長崎行き「みずほ」

西鹿児島、宮崎行き「富士」

出雲市・浜田行き「出雲」

・博多行き「あさかぜ」

・宇野行き「瀬戸」

・米子、紀伊勝浦行き「紀伊・いなば」(名古屋で分離)

・大阪行き「銀河」(急行)

西方面だけでもこんな感じでした。

当時は鉄道ファンもまだ少なく、駅で撮影する姿もほとんどなく、ブルートレインですら「まばら」でトラブルなんて見たこともないない時代でした。

 

東京圏への一人旅で印象的だったのは、駅のホームや駅そばの「立ち食いソバ屋さん」で食べたそばの汁が真っ黒だったこと(★イメージです)。

「券売機」をとまどいながら利用したのもこの時でした。

何年かたち、西日本から来た友人とそばを食べた時、薄口しょうゆ以外(こいくち)を見るのは初めてらしく、だいぶ衝撃的だったようで箸が進まない・・・(奮発しておごった「海老天そば」が、、、)。

 

一筆書き(同じ駅を二度通らない)で途中下車なしながら一日中乗れる「大回り」と違い、途中下車できるのを生かしあちこち行けば、たくさんの個性がそこにありました。

・昭和の面影を今(令和5年)でも残す鶴見線・支線(鶴見から海芝浦・大川・扇町

「旧国電」と言われる、古い茶色の電車でした。

・都会から三浦半島まで楽しめる横須賀線久里浜まで)

・当時は気動車ディーゼルカー)が走るどかな風景だった相模線(茅ヶ崎~橋本)

のどかさは成田線我孫子~成田)や八高線(八王子~高崎)も。

・東京都でも青梅線五日市線は遠く異色の存在

・下町を通る南武線(川崎~立川)、郊外の風景が楽しめる横浜線(東神奈川~当時は原町田~八王子)の長さもなることながら、八高線武蔵野線(西国分寺南浦和~新松戸~船橋)全線はかなりの長さを感じるものでした。

・中央線は普通・快速・特別快速を乗り比べ

・山手線をなんどか外回り(右回り)・内回り(左回り)しても飽きることはありませんでした

・新橋駅東(汐留)や新宿南口(バスタ新宿あたり)、鶴見(新鶴見)、八王子にあった巨大な操作場(貨物ターミナル)は今や面影はなく・・・

 

便利な場所・秋葉原の「交通博物館」は外しませんでしたが2006年に閉館。

 

1977年(昭和52年)の平均年収は245万円。

2019年(令和元年)の平均年収436万円の約56%でした。

「7日間の旅」でかかった費用は、周遊券特急券(何本か)・私鉄等切符代、宿泊代(旅館の素泊りやユースホステル)、飲食代、お土産代を含めて3万5000円で令和なら62500円。

安価な食事なら一食200~300円台で済んだ時代の話です。