三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

沿岸部のお通夜は300 500~600 葬儀 No.398

正月三が日明けの友人の”卒業式”。

三陸沿岸部は「火葬⇒通夜⇒葬儀」の順番です(「前火葬」「骨葬」)。

三が日を避け4日に行われた火葬から2日後、通夜が行われました。

人口5000人台の旧町に火葬場はありますが葬儀屋さんはないので、約15㎞離れた市街地の葬祭会館が会場です。

 

午後。

同い年の友人(彼女)が最後に滞在した市立病院に川を挟んでほど近い会館まで、親族を乗せ三陸自動車道とバイパス経由で約20分。

駐車場を調べたグーグルマップの口コミでは”小規模”とのことでしたが、50台以上は楽々入りそうな駐車場はガ~ラガラ。

地方の”余裕ある風景”はごく普通でストレスいらずは助かります。

 

(湾と震災後新しくできたふたつの橋)

南北にうなぎの寝床のように細長い会館。

中に50脚以上のたくさんの椅子が並んでいましたが、これで”小規模、家族葬”ですか、、、。

「選んだ決め手」は「過去の対応(おもてなし)」とのこと(喪主)。

「ホスピタリティー(おもてなし)」・・・宿泊業に従事者していたころ意識した言葉ですが、「免許のいらない業種(葬祭業)」だからこそより意識しそうです。

それが差別化につながる気がします。

 

依頼された会館での「受付」は自分を含め男4人。

「名簿」は「個別」と「お知らせした方」の2種類あり、「お知らせした方」約30名はお通夜以外にもできるだけ参列を求められます。

親族でも「宗教の違い」で来ない方も・・・(”輸血のできない”宗教です)。

「14~18時(和尚さんの”お勤め”は16時)」にもかかわらず、13時すぎには最初の方が来てすぐお帰り・・・。

その後もぽつりぽつり・・・・・・(いらっしゃいます)。

「個別名簿」を見ていると、「ほぼ市内から」で「何種類かの苗字」が多い感じ。

そんな中、ありふれた苗字(小作人)の自分はやはり一人・・・(それでも”市内の眼科”は同姓だとか)。

「複数の香典袋を持参しまとめての記帳」で理解できたのは、「この地で自分が会ったこともない・名前も知らない方でも知り合いの関係者」ということで香典を出した過去でした(知らぬ間に「出しておいたよ」と言われた)。

どこまで(どの範囲まで通夜に)行くのか?はっきりしませんが、「一般の方でも年に何度も喪服を着る」機会がある感じです。

なので用意された「お返し」は300ほどで、これで”小規模”。

もし「火葬」から訃報広告を出していれば、500~600はいっていたかも、と言うのです(関係者)から驚いてしまいましたが、これが”普通”なのでしょう。

 

隣県の友人によれば、(いつのころまでかは不明ですが)昔「貧しかったころ」は「自宅での葬儀が1週間続いた」そうです。

「香典で一息ついた」とも。

 

3分たった?と驚くほど、記帳して間がないうち、足早に去っていく方も少なくないのですね・・・・・。

(シンボル”安波あんば山”と震災後再開発された港地区)

午後4時からの和尚さんの”お勤め(読経)”は1時間近くにも及び、高齢の和尚さんには大変そうでした。

会館の方によれば、30分にも満たない方から”いろいろ”いらっしゃるそうです。

「お布施をもらう立場の和尚さんも香典」に意外な感じを受けましたが、知らぬは自分一人なりかもしれません。

 

受付をする4時間で出る話はいろいろありました。

主なものは、土地柄「魚・釣り」や「山菜・まつたけ」「人口減少・少子化」「葬儀」等等。

とても出せない内容も複数・・・。

 

時間によってはどとうの如く続いた弔問客に、4時間で会館の方が補充した「お返しの回数」何度でしょう??

そして滞りなく無事その日は終了しました。

それにしてもすごい数の弔問客でした・・・・・。

 

写真は帰りにいただいた「通夜振る舞いのお弁当」です。

お弁当を買って食べることはほとんどない人(自分)。

性格上、日本酒と共に食べ残すことなくいただきましたが、豪華なボリューム(大きさ)とカロリーある弁当は”食べ過ぎ”なようで、あとで苦しくなり大変でした。

翌日に葬儀を控え、体調を崩すわけにはいきませせん。

その日はかなり早目に就寝一直線。

このあと、体調を崩すのはすべてが終わってから、になりそうな”精進落とし”の弁当が待っていることも意識せず・・・・・。

 つづく