フリマ開催のお手伝いで、チラシ配り。
我が住む集落を歩いてみました。
震災前の200世帯から120世帯となった集落を一軒一軒、また一軒、、、。
まずは、高台にできた区画整理された新しい家が立ち並ぶエリアから。
気が付いたことは100坪以上はある敷地で「ポストまで遠い」家が少なくないことです。
極端な例は、「西道路&家のポストは東側で家の庭を横断する」とか・・・。
配ってみて「郵便配達」の方の気持ちが少しだけわかる気がしました。
新しい高台暮らしだと日ごろは意識しない、元からの集落に足を向けると・・・(写真)。
何本かある道はすべて「山に向かって登り坂&行き止まり」です。
この手前あたりまでは「海水」が来たと思われます。
「道幅の狭い道路」もすれ違うことはほとんどないのでOK!!
そこには震災前からある風景が広がっていました。
1軒だけ、あちこち見てもどうしても「たどり着けない家」があったりしました。
一方、震災後できた「三陸自動車道の側道」へ向かう関係者用道路(坂道)は立派な6m幅で日ごろは通行止めですか・・・。
シカちゃんがかっぽしましたと、ここでも跡(ふん)を発見!
(写真は6m道路からの「三陸自動車道」)
ちょうど紅葉と重なりました。
(6m道路:奥の新しい家々に行くには下って登って・・・・・)
なおも坂を下ると、山肌に守られるように囲まれて、高台に集落の墓がありました。
今は120戸ですが、元は200戸分のお墓で、だいぶ広い区画と数もあります。
そこは、通るだけではわからない場所でした。
振り返れば、海を望むように・・・・・(合掌)。
90分たったので今日はこの辺で・・・。
今回は60軒あまりにチラシを配ることができました。
都市部と違い「チラシ配りのアルバイトの単価」はどうなるのだろう?などと思うほど、アパート(集合住宅)0の戸建てしかない地域です。
残りは半分ですが、震災で津波の被害が(あまり・ほとんど、あるいはまったく)なかった地域(もう一方の高台の集団移転住宅を除く)ゆえ、もっと時間がかかる?のは覚悟の上です。
いったい120戸全部配るのにかかる時間はどのくらいでしょう?
午後6時。
防災無線から流れる「時報」に”もしかして?感”があったので調べてみると、やはり「ムソルグスキーの”禿山(はげやま)の一夜”」でした。
音楽は関係ないといいつつも・・・(ロシアの作曲家)。
つづく