昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から42年前、昭和56(1981)年4月上旬~中旬 春休み 北陸周遊券(14日間有効)を利用し春まだ浅い北陸へ・・・。
当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」でした。
リユース品(未使用・中古)を扱っていた中で、何度もお世話になったのが「高岡銅器」です。
かなり流通量があるのか、「木箱入りの花瓶」はずいぶん扱いました。
そんな高岡の街で加賀藩前田公により建立された「国宝高岡山瑞龍寺」。
ホームページを拝見すれば、現在は複数個所が国宝に指定されていて、見所満載のお寺さんです。
駅からも近いのでお近くにお立ち寄りの際は一見の価値ありかと思います。
当時はそのようなお寺さんとはつゆ知らず(意識せず)、4月2日と11日12日に利用しているのは、「鉄道ファンが北陸をあっち行ったりこっちいったり」する中で中間地点が泊まりやすかったからかもしれません。
記録には「富山ユースが休みで来た それだけ」などと書かれていました。
お寺内部を見た記憶がないのは今となっては残念ですが、当時学生はひたすら”(鉄道)乗車&駅や車両からの撮影(当時は駅売店の”キオスク写真”などとやゆされました)”を目指し北陸路を何度もいったりきたり・・・・・。
私鉄に乗ろうと駅まで行ってみたら”先月廃線”になったばかりだった・・(福井県・今と違ってネットでの情報はありませんでした)とかはざらでした。
廃線ほやほやの駅やホームにたたずみ、もう二度と来ない電車(電車です)の姿に想いをはせる・・・・・。
旅に「予定変更(ハプニング)」はつきものです。
それでも、「時刻表を開いて計画を立てる」のは楽しく、「予定変更」もまた楽し・・・・・(人生と似ている気がします)。
4月上旬。
雪は残れど運休はなく、移動しやすいのはラッキーでした。
周遊券内の国鉄線はすべて乗りましたが、能登半島(能登線・七尾線)は別の周遊券。
乗る機会ないうちに、能登線は”のと鉄道(第三セクター)”に代わり、その後廃線。
現在は七尾線だけになりましたが・・・(おそらく乗る機会は・・・厳しい)。
そんなこんなで他もあちこち”廃線”やら”第三セクター化”が・・・・・。
スタンプにあるのは「前田家家紋 加賀梅鉢」。
訪れた宿の数「54」のうち
廃業した数48
今も営業中6(うち休館中2)