コロナ前の2019年5月末~6月中旬、30年店で働いた退職金代わりに、最初で最後の海外旅行(母)。
母の「高い山と高山植物が見たい」という希望で「スイス」に。
[物価高のトップグループ国]でできるだけ費用を抑えながら・・・。
11時半にチューリッヒを出てから6時間15分後の19時45分(時差は2時間)。
闇が訪れるころ、やっと目的地アラブ首長国連邦アブダビに到着です。
「空港内外の撮影は禁止」されているようですのでくれぐれも慎重に、到着のだいぶ前に少しだけ・・・。
来る時はあまり想像はしていませんでしたが、眼下には広い敷地と高層階の建物が少ない風景が広がっています。
オレンジ色と白に統一された照明が目を引きます。
直線状(碁盤の目)に作られた砂漠の街。
それは、この国のもう一方の雄なる都市「ドバイ」の高層階連なる風景とは一線を画すものでした。
到着後、乗り換えのために広いターミナルを20分以上かけて歩いて移動するのは行きに経験済でしたので「まだかまだか」と気をもむことはありませんでした。
それでも「早目に待合室に到着」することは大事です(油断大敵、乗り遅れは許されません)。
なので、途中にある「図書スペース」や「シャワー施設」は事前に情報を仕入れていて、あ~これかぁ~と確認はできましたが、、、よほど時間がないと「くつろぐ」ことは難しそうです。
出国検査(手荷物検査)場では「全員靴を脱いで」ゲートを通過します。
老若男女は問いません。
最初(行き)は、えっ!と思いましたが、厳重検査歓迎です(テロこわい)。
22時。
(乗り換え地点・アラブ首長国連邦/アブダビは下の地図のサウジアラビアの右あたり)定刻に出発したエティハド航空(キャリアコードEY)878便は、推定ではありますがイラン,パキスタン、インド上空を経由して広大な中国を横断します。
飲み物・食事・睡眠・飲み物・また食事・睡眠を繰り返すうちに、明るい窓外の景色を見たい気持ちが勝ってきて、二度と見れないかもしれない眼下に目をやります。
すでに飛行機は中国の平野部の真っただ中。
そこには広大な土地にたくさんの街(都市)を抱える国がありました。
行きに見た闇夜にこうこうと照らされた、まぶしいほどの大都市の群れ。
これだけの人口をまとめていくことはかなり大変そうに見えました。
この先中国から主役の座をとって変わると言われるインドもそうですが、都市部から地方までうまくまとめていけるのかなと思うばかりです。
飛行機は西から東へ大陸をまたぎ、東シナ海を渡り、朝鮮半島を横断し(韓国)、最後は千葉県をぐるっと回り(旋回)・・・。
まもなくイスラムの雰囲気漂わせる機内ともお別れかと思い、しばしイヤホンを通してイスラム音楽に浸りました。
多国籍のクルー(キャビンアテンダント)に「シュクラン!アッサラームアライクム(アッサラーマアレイクム)!」ありがとう!さようなら!
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「旅」の分かれ目。
「非日常」の体験を希望するか、しないかによって分かれる気がします。
「海外旅」の分かれ目。
民族や宗教や文化・生活習慣の「違い」に興味がわくか、楽しめるか、しんどく思うかによって、旅をする人・しない人が分かれる気がします。
また、異なる食事を受け入れることができるか否かもポイントです。。
自分の場合は、中学2年生の時に友人と初めて行った2泊3日の隣県キャンプで旅の楽しさに目覚めましたが、今はあまり旅する習慣のない(旅する人の割合が少ない)土地にいて、その違いを実感しています。
市内に小規模の旅行会社が4つあるようですが、残念なことに旅行の宣伝(チラシ等)は見かけません。
以前は交通の便に難があり(沿岸部)「陸の孤島」と呼ばれたこともあった場所です。
いまだ日祝(のみ)休みの事業所の声も聞かれます(お盆休みは三日等)。
それでいて(労働日数の割に)都市部との賃金格差があります(その分残業が少ない気がします)。
三陸自動車道ができて県庁所在地まで最短で2時間・日帰り圏にはなりましたが、企画ツアーの集合(出発)時間が午前6時(昭和の”国鉄時代”は5時もあった)は珍しくない「旅行条件」も普及をさまたげる一因かもしれません。
都市部との「ライフスタイルの違い」は大きいなと思うばかりです。
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(22時発)10時間後の13時(時差は5時間)、飛行機は無事成田空港へ到着しました。
信用があるのか?それとも高齢の母親がいるせいか、申告物もなくあっけないほどすぐ出口へ出られました。
帰りのJRの切符は事前に手配することはしませんでした。
「以前、飛行機のキャンセル(欠航)があって事前予約で支払った金額がパーになった」ことがあったからです(翌日着では変更や払い戻しもかないません)。
今は「飛行機の遅延・欠航」に加えて、「コロナ陽性」のリスクもあります。
切符の各種割引は望めませんが仕方なし。
素直に乗って家路に着きました。
翌年、まさかコロナ騒動が始まるとは思いもよらず、高齢の母親にはぎりぎり間に合った最初で最後の海外旅行。
その後「今度は北欧に行きたい(また物価高国)」などと言われるたびに、気持ちはわかるけれど「限りない難しさ」を感じる年齢です(母親)。
(飛行機への)搭乗者でいないことはないけれど・・・(そのころは90代)。
終