三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

三陸北上 内陸南下 5 旧国鉄 岩泉線 岩泉町 岩手 No.274

所用と旅を兼ねて北へ。
上の道(三陸自動車道)は使わずに、街中以外はガラガラの下の道(国道45号線)を走ります。
格安な宿と国鉄 JR旧岩泉線を訪ねちょっとだけ内陸部へ。
国道340号線沿いを北上します。



風光明媚(めいび)とはまさしくこのこと。
山の奥の奥。
何本かの川を上った先。
家々に積み上げられたたくさんの蒔(まき)
薪ストーブに憧れを持つ身。
何で生計を立てているのだろう?
点在する民家を見るにつけ、車に乗れなくなったらどうするのだろう??
ポツンと一軒家」はあちこちにある??

(レールは残されたまま)

途中、集落の中に家の切れ目(空地・窪地)が見え急停車。
そこはやはり「旧駅前」でした。
調べてみれば浅内駅

岩泉線はかつて宮古市茂市(もいち)駅(宮古市の左あたり)と下閉伊郡岩泉町を38.4㎞結んでいました。
発祥は戦時中に耐火煉瓦の原料となる粘土輸送のため。
そのためあえて「民家を避けた線路の敷設(ふせつ)」がその”風光明媚さ”をかもし出していたのかもしれません。
延伸につぐ延伸で1972年には岩泉まで開業。
しかし1982年貨物輸送廃止、「民家を避けたルート」がますます赤字を増大。
それでも「代替バス路線の未整備」で逃れていた「廃線」は2010年の土砂崩れで突然終わりを告げました。

(ホームやレールはそのまま・ポストは起点の山田線茂市駅から31キロ)

左手にコンクリート製の塔を発見!
そこにあったのは「給水塔」でした。
ということは、かつてSL(蒸気機関車)が走っていたことになります。
なぜこんなへんぴなところに(給水塔があるのだろう)??という疑問は、意外にもこのあと訪れる宿で判明しました。

(たくさんのトンボの群れが飛び交い、もうそんな季節)

(鉄橋は数えられないほど・おそらく20か所以上が複数の川をまたぎ、今もそのまま)

宿の部屋から見える学校から「祭りばやし」の笛や太鼓の音が聞こえます。
長時間遅くまで練習は続きました。
山に囲まれ平地少ないだんだん坂。
学校の背後や周辺に公営の大きな建物が複数あり調べてみれば学校は岩泉高校で、町役場と肩を並べ「岩手県沿岸部振興局土木部岩泉土木センター」。

4階のここにもトンボが優雅に群れを成し・・・。

 つづく