三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

1970年代~80年代「ほぼ鉄道だけ」で全国を旅することができたわけは No.265

今から40年以上前の昭和50年(1970~80年)代くらいのころ。

「旅と鉄道に目覚めた少年」は「海外よりもまずは全国」を目指しました。

「普通の学生」に長距離普通乗車券代は高く、ごくたまに県内を利用するくらいな中、「大いなるたすけ」となったのは「国鉄日本国有鉄道周遊券」でした。

 

地域ごとに分かれた大小さまざまな「(ミニ)周遊券」。

当時は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」でした。

その後、「(一部の券)周遊区間内は特急自由席まで乗り放題」になり・・・。

 

「〇休み」を利用し 「〇〇周遊券(7・14・20日間有効)」で、ときには「最終日夜行列車に乗れば翌日降車するまで有効」と目いっぱいの旅。

 

当時は「いい日旅立ち」の歌と共に「ディスカバージャパン」の旅行ブームが巻き起こっていたころ。

1980年(昭和55年)、国鉄日本国有鉄道)協力で企画された「いい旅チャレンジ20000㎞」。

始発駅と終着駅の自身入りの写真を撮って応募すれば、10線区から完全踏破まで賞が待っていました(自分はやらず)。

 

 

 

1980年(昭和55年)、国鉄路線数は242。

総延長はおおよそ20000㎞。

あったのです。

周遊券は「北海道」や「九州」「四国」「山陰」といった「ワイド周遊券」から「信州」「北陸」「関西」などから「東京ミニ」のような範囲のものまであり、合わせると広範囲を網羅していました。

そのため、乗った路線を赤い丸で塗りつぶしていった結果、1984年までに183線区、19280㎞を踏破し、記録はそこで終わっています。

「旅の途中」で「廃線となった線区はいくつか。

 

結局、訪れていないのは「沖縄県」と「能登半島(石川県)」。

利用した「北陸周遊券」に能登半島は含まれておらず、「能登半島ミニ周遊券」を利用する前に実家に戻るため関東を離れ、それが最後となりました。

       

 

現在、そのような「チャレンジ」をしたくとも、全国を網羅していた「特急」「急行」「快速」の各列車は軒並み消え「遠方に行くには一気に新幹線」が定番です。

かつてあった「上野発青森行き」「京都発下関行き(山陰本線経由)」など長距離普通列車は消えたどころか、「県をまたぐ普通列車が存在しない・県をまたぐには”特急”しかない」などという県もあります。

もっとも「県をまた普通列車」があって隣県・近県に行きたくとも在来線は接続もままならない(時間が合わない・接続を考慮していない)」時代です。

 

それに拍車をかけたのが、「新幹線開業で新幹線と並行する在来線の多くが第三セクターになってしまった」ことです。

 

「えっ!」と思ったのが、北陸新幹線が開業して北陸本線から切り離された第三セクター路線です。

現在、新潟・富山・石川各県の3社元の北陸本線を運行しています。

そのため、もちろん「中身」は違います。

国鉄時代から長年人気を博している「青春18きっぷ普通列車一日乗り放題切符5枚つづりで12050円・期間限定」などを、元の北陸本線に利用しようとすると、当然途中下車は別料金です(「通り抜け」はOKなことが多い?)。

割引切符」はあるようですが「条件」は各社ばらばら

料金比較もさることながら「平日限定」だったり、反対に「(祝)休日限定」だったり・・・・・(ふ~~・かなり複雑です)。

 

それが、今後の「北陸新幹線敦賀延伸」で開業後は福井県を含め第3セクターが増える(5つだったか?)予定です。

元元1本だった線が各鉄道会社に分かれて・・・。

乗る前にそれぞれ違う「中身」を確かめて・・・・・。

 

思うに、このところの「若年層の旅行者がだいぶ少なくなってきている」理由のひとつに「1970年代~80年代・国鉄があったころとの違い」があるような気がします。

シンプル」で分かりやすく、他の人にも理解しやすい時代から、だんだん「複雑」で分かりにくく(混乱しやすく・間違えやすく)なってきている?のでしょうか??

 

震災後できた、歩いて10分ほどの「BRT(JRのバス)」バス停の時刻表。

既存の地元のバス会社の時刻表と違い、いろいろな情報がかなり細かく書いてあり、親切?な内容もその「量」半端なく・・・・・よ~く見ないと間違えそうです。

読むだけでも・・・・・(日ごろ「飽和状態」の頭の中が悲鳴をあげそうです)。