昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
昭和54(1979)年3月 春休み 北海道周遊券(20日間有効)を利用
当時、周遊券は「普通・急行列車自由席乗り放題」でした。
襟裳・えりもユースホステル(北海道・幌泉郡えりも町・旧襟裳町)
旧広尾線終点広尾駅 日高本線終点様似・さまに駅下車 国鉄バスで
今は”亡き”「幸福駅」で有名だった広尾線(帯広~広尾)と日高本線(苫小牧~様似)が健在でした。
しかも、襟裳岬までそれぞれ国鉄バスが走っていて、周遊券でOK。
当時は岬に3つもユースホステルが存在したようです。
廃業後、民宿として運営されるも2017年廃業、建物も解体。
アットホームな宿で、岬の突端はすぐそこ。
あの「歌」のとおり、「何もない春(前)」でした。
岬をバスが離れる時、宿から大きな旗を振ってさようなら~!・・・。
宗谷本線塩狩駅下車(1日の乗降人数:ほぼゼロ)
鉄道事故を描いた、三浦綾子作「塩狩峠」の舞台にもなった場所です。
スタンプにある「国設塩狩スキー場」がかつてありました。
当時は「スキーと稚内コース」「旭川近郊」と書いた”広いエリア”を感じる時代。
今は宗谷本線自体がかなり”危ない”路線です。
現在塩狩峠記念館があります。
ホテル兼営と直営の時代があったようですが現在は更地で、別に地元の方が始めたユースホステル「塩狩ヒユッテ」があるようです。
おそらく”兼営”時代に利用したと言えるわけがあります。
亡くなってしまったので今は”時効”な話(にしてください)。
夕食はうれしい「ジンギスカン」で、なんとペアレントさん(管理者)の””粋な計らい(と言っておきましょう・・・)”で350mlの缶ビール1本まで飲んでいいよ~ということになり・・・・・(ユースホステルは当時飲酒は禁止)。
えらい楽しく過ごした思い出は”一生もの”になりました。
当時いくつだったか(年齢)・・・・・忘れました。
現在、ほぼ利用者ゼロの駅の存続運動が継続中のようで、なんともいいようがありません。
「駅を利用できる距離にあるのは2世帯(しかも高齢者)」(ウェブ上での情報)。
訪れた宿の数25
そのうち今も営業中3