昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
昭和54(1979)年3月 春休み 北海道周遊券(20日間有効)を利用
当時、周遊券は「普通・急行列車自由席乗り放題」でした。
根室本線 浜中駅下車(一日平均乗客数10人/2014年度)
釧路から根室まで続く根室本線がまだ「元気」で枝線が複数廃止される前は周遊券をフル活用、夜行2連泊ユースホステル1泊時々2泊、なんてこともできた時代。
白糠線(白糠~北進)、釧網本線(釧路~網走)標津線(厚床~中標津、標茶~根室標津)は健在でした。
浜中駅から寒風吹きすさむ中2時間ほど歩くとあるのが「霧多布」岬。
笹の葉生い茂る台地を風を切りながら進めば、途中戦争の爪痕「通信所」跡があったことを覚えています。
荷物を預かってもらった、駅前の店で食べたラーメンが冷えた体に染みわたりました。
宿の窓から海までの広大な視界、大自然。
その先にあったのはムツゴロウさんとスタッフのいる「けんぼっき島」でした(ムツゴロウさんはホテルにいたころの顧客で、廊下ですれ違った際のご夫妻の「笑顔で会釈」が思い出です)。
標津線 標津駅下車(1989年廃止)
旅館と兼営していました。
夕食にお寿司が出たことと、2日目に尾岱沼を船で巡った思い出(ペアレントさん・宿の経営者に別料金を払い)。
大自然の湖面に立つ、枯れたトドマツ「トドワラ」が印象的でした。
海をはさんで、長くて大きな島(国後島、くなしり)はロシアのものに。
今でも旅館は名を変え営業しているようで車でしか行けなくなりましたが、また訪れてみたい景色です。
どこからバスでアプローチするのかわからないほど広い道東。
人の数より牛の数が多いと言われた村は今?
訪れた宿の数22
そのうち今も営業中3