昭和40・50年代に旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円以下でした(一時期)が時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
東北本線(現青い森鉄道)野辺地駅から国鉄(JR)大湊線に乗り、終点大湊駅下車。
一つ手前の下北駅~大畑駅(大畑町)まで結んでいた国鉄大畑線は下北交通大畑線となり2001年廃止になったようです(乗っててよかった)。
ユースホステルは下北半島・マグロや北海道まで最短で渡れる(フェリー)大間町、いたこがいる恐山への入り口の街むつ市にありましたが、すでに解体済。
街中立地の宿はあまり記憶が残らないようです(平凡だから?)。
20年以上たって車で訪れ給油した際、だいぶ価格差があった記憶があります。
青森駅から国鉄(JR)津軽線ディーゼルカーに乗り津軽半島を北上、今別駅下車。
施設の一部をユースホステルとして開放されたものです。
四国(八十八か所巡礼)や奈良の宿坊ではありませんが、お寺さんに泊まる、いい機会だったと思います。
津軽海峡を挟んで対岸に北海道が見えます。
町内には北海道新幹線の駅でありながら秘境駅と言われる「奥津軽いまべつ」があり、時代を感じさせます。
ちなみに、2017年の一日あたりの上下7本の平均乗降客は66人、日本一だそうです。
おまけ:1970年代の青森駅
ミニ周遊券有効期間7日間を目いっぱい使い、初日は零時を過ぎてから夜行列車に乗り朝方青森着。
一日は連絡船待合室で夜通しいることができました(若さゆえできたことかと)。
春まだ遠い、春休みを利用して訪れた北の地ですが、(当時の)北海道と違い、降雪による列車の運休は幸いありませんでした(残雪あり)。
行き止まりの青森駅で、貨車を函館行き国鉄連絡船に積込む姿は壮大でした。
終点に発着する列車は上野行きや日本海を通って大阪まで行く特急・急行や夜行列車がたくさんいて壮観でした(乗り鉄・撮り鉄天国)。
連絡船待合室は広く、地元の「工藤パン」の何種類かをおいしくいただきました。
訪れた宿の数6
そのうち今も営業中0
つづく