三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

沿岸部とご縁 10周年 No.179


今週、沿岸部とご縁ができて10年がたちました。
東日本大震災前まではなんの仕事(依頼)もご縁もなく、観光で通過したり泊まったりする場所でした。
それが、震災を機に、というわけでもないのに、震災翌年あたりから仕事の依頼が入るようになりました。
市営住宅や町営住宅の退去に伴う不要品の引き取り複数。
一軒家やアパートも。
厳冬の作業前日、小さな港で車中泊すれば、マイナス10度で全部のガラスに霜が張り付く朝体験もしました。
160㎞の道のりを4回往復したり、170㎞離れた社会福祉法人運営の「リサイクルショップ」に家具家電雑貨を寄付すること何回か。

なぜ「南」ではなく「北」の地から作業依頼があるのか?不思議に思っていたのですが、なんとなく想像できることがありました。
それは「親(一族)」のルーツを調べていた時のことです。
父方(A家)の祖先は地元の小作人で「本家」と言われる大きな家を訪れた幼い日の思い出がありました。
なので、ありふれた苗字になります(自分)。

母方(B家)はよくわかりませんでした。
なぜなら、祖母の祖先が青森からやってきたというのを母から聞いたのが昨年のことで、母も詳細はよくわからないそう。
戦後早くに亡くなった祖父は、沿岸部から大きな川をさかのぼった、昔交易で栄えた集落(今でも立派な街並みです)に屋敷を構える家柄出身で、3人の姉は県庁所在地の女学校に通っていたらしいのですが、保証人になったことで没落したらしいのです。
(と、ここで「隣組」の方が分厚い「今年の行事予定」と「各種広報誌」を持ってきてくれて、初めて顔を会わせました)
事情があり祖母は祖父の姓を名乗れなかった・ほとんど屋敷に行ったことがなかった過去。
ですが、いろいろ調べていると、祖母の祖先は県北から隣県県南出身らしく、確かに同じ苗字が隣県県南に見受けられます。
(先日記録を打ち立てて話題になったプロ野球投手と同じ苗字です)
祖父は隣県の銀行員で戦中沿岸部にいました。
沿岸部にご縁ができたのは祖先のみちびきなのかもしれません。

リアス式海岸
また、同時期地元で散々回り道した”パートナー”を見つけたのも沿岸部でした。
現在、公私にわたり助け合う関係です

自営業30年の中、職業での貴賎差別があることを味わってきた(聞かされてきた)地元から出たいという想いは、「敗戦(廃業)処理」を(結局5年)続ける中、急に飛び込んできた「お試し移住」で実現しました。
「市営バス(地下鉄)の年収800万の運転手(月10日休み)」が大人気の反対で、職業を言ったらアウト!からの脱出でした。

沿岸部=人間関係でストレスなく過ごせる今。
北の沿岸部・地方都市移住で気が付いたことは、
・個人店が非常に多く(残っている)、有名チェーン店が複数撤退する
・飲食店や農産品の値段は安めではなく、「モノを買うなら〇〇〇(内陸の都市名)・モノを売るなら〇〇〇(沿岸部の都市名)」という言い伝えがある
・沿岸部でも海産物は漁業関係者の知り合いがいない限りスーパーで買い求めるので、地元産のものはそう年中食べてはいない
水道光熱費は都市部に比べると安くはない
・住居費(家賃)は県庁所在地より固定資産税が安いにもかかわらず高くて賃貸・売買物件が少ない
なので、金銭的に余裕のある方以外は物件探しに苦労する(5年探しました)
・仕事は多くはない(給料も)ので副業・投資等何らかの工夫が必要
・医療は都市部に比べると弱い(混む・選択に限りがある)ので、それなり覚悟が必要
・娯楽施設が少ない分、自然は身近で豊富
・中心部を除けば車での移動が日常・渋滞は皆無(無料高速のおかげです)
・各種施設は土日祝日でもそれほど混まない(ただし、〇〇フェスティバル等イベントは除く)
・職業差別が感じられず、威圧的な人はほとんどいないので、日常生活がスムーズに送れる
・地域清掃等定期的な行事がある
・何種類かの苗字が多い
オレオレ詐欺・火事・尋ね人等何かあればすぐ「防災無線」で知らせてくれる
 その他たくさんいいところがありそうですが今日はこのくらいで・・。

10年前には全くなかった沿岸部とのご縁。
感謝の日々を最後まで・・・。