三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

県境に カモちゃん と ヒッチハイカー No.367

先日。

しばらくぶりに県境を越えてお買い物。

普段用事があるのは県内で、距離近めでも逆方向(隣県)には行きません。

「用事ついでにささっと買い物」以外、初めて「買い物目的」での県境越えです。

(朝から快晴は続くよ・窓の外)

お昼どき。

三陸自動車道ができてガラガラになった国道45号線を北上すれば、ちょうど紅葉の時期と重なり、鮮やかな「紅葉ライン」を愛でながら北に北に、、、。

県境のインターチェンジを過ぎたあたりで、ガードレールにとまる三羽のカラスを避けて右にふくらんだところ、草むらにカモシカちゃんの頭が!

えっ!?

国道を折れ草むらに駐車し、そっと近寄って行くと、いましたいました!目が合いました!!

しばし声がけ、ごあいさつ、、、、。

しばらくして、ゆっくりのっそりと移動して「昼ごはん」の草をハムハム〜。

また移動してはハムハム〜。

初めて10分ほど、カモちゃん観察できました。

あの、おとぼけの表情にゆっくりゆったりのっそりの動作は、とても幸せな気持ちにさせてくれます。

やさしい性格なので、驚かさない限りは大丈夫。

そっと見守り、また会う日まで、、、。

 

その先、津波がさかのぼった川の河口を渡り、だだっ広い、荒野のような(震災後整地済)視界の先、陸前高田市の新しくできたメインストリート角には「白が基調の郵便局」と広い駐車場のコンビニができていました。

おっ!その先の空き地にキッチンカー。

何屋さん?と思いきやラーメンをすする方で隣のテントは大盛況〜。

市の敷地に建つショッピングモールは五十日(ごとうび)で?車と人のにぎわい。

その先の目的地イオン(スーパーセンター)も同様で(車が)出たり入ったりのお昼過ぎ。

会計後のレシートは全品5%引き!でした。

よく見れば表の壁に「○○日はどなたさんでも5%引き」の表示。

「○%引き」「○○イベント」の日を狙い買い物する生活ができるよう、、、。

 

帰り道。

「道の駅.震災伝承館前」で手をあげる学生さんを乗せ行き先を聞けば「県央(南)方面」。

行き先を書いた紙(ボード)がないと、ん?と確認するまで間がありましたが、ヒッチハイクが日常の国は手をあげるだけでした。

東京から来て、今日は岩手県央から南下したとか・・・。

この、朝晩寒さ感じる季節にご苦労なことです。

携行缶(ガソリン)の匂い残る、「荷物車化した軽自動車」のきれいではない車内は申し訳ない、、、。

悠々自適の生活まで道半ば、週末開催のフリマ準備やらなにやらあってお相手できず、残念ですが県境を越えたあたりで次の車にバトンタッチ!

 

今まで何回か乗せてもらうことはあっても、乗せることは初めてでしたが、おとぼけ顔の愛らしいカモちゃんとも会えて幸せな一日になりました。

あとはフリマで少しでも物がなくなるように、、、(準備準備〜)。

地方移住 北にしてみたら No.366

東日本大震災後、ご縁で知った三陸沿岸部に引越して2年近く。

お試し移住一年と今のところに引越後9ヶ月間で気がついたことが幾つかあります。

(気がつかないことはたくさん)

(写真は9日に今月も”筒状”でもらった広報誌、各種チラシ

4日~6日行事のチラシが入っていてアウト!・・・)

 

お試し移住で住んだ市営住宅(災害公営住宅)は築4年で日当たり良好。

おばあちゃんが短期間住み新築と見間違えた、新築同様の2DK(55平米)でした。

市の中心部から離れていても、地区には役場支所(元町役場)、駐在所、郵便局、ホームセンター、コンビニがあり、いずれも徒歩圏。

8キロ離れたスーパーまでの買い物、銀行やガソリンスタンドでの給油はまとめればOK。

一日数本のバスは、車なしでもぎりぎりなんとかなりそう?

生活は、人間関係が密かと思いきやだいぶ静かな日々でした。

日曜日6時からの草刈り(草取り)は6月8月10月に一時間ほどで、道路沿いの花壇作業は年2回、和気あいあいと。

時折、日常的に聞こえる草刈り機の音。

夜間聞こえる鹿の鳴き声。

窓越しに見えた、住宅地をのっそり歩くカモシカちゃん。

戸建てと違い「集合住宅」は人との関わりが少なく、街中とあまり変わらないので気が楽でした。

一方、集まりがないので12戸なのに誰が住んでいるのかよくわからず、、。

いじわる等もめ事はまったくなし。

幸い変な人もおらず。

 

自治体の各種施設や駐車場は人口が減少している分、待つ・並ぶことを意識せずに済み、ゆったりとした生活が送れます(病院等一部例外あり)。

議員さんの平均年齢は高く(最年少は40代)、ほぼ男。

三陸自動車道開通で「地の利を生かした観光客・移住者誘致」は?

「時代の変化を先取りする政策」実現は(ご縁は)??

遠くの隣県から役所職員3人が来て「イベントコラボ」の話を自治体に持ちかけたら「やっていない」と言われ手ぶらで帰るわけにもいかず、、、(★未確認情報です)。

通信環境は市街地以外は場所によりつながりにくく「(だいぶ)キツイ」可能性があります。

低所得者が料金を気にして3大キャリア(ソフトバンク)から「楽天モバイル」に変えたら、住んだ2か所ともカバー率96%の残り4%地域で、通話はOKですが・・・(今後カバーされる予定なし)。

写真の多いブログはよく固まりあまり見れず、動画やspotifyなどの音楽も時に(一時)停止します。

止まりながらのブログ作業は、固まった時は行きつ戻りつ・・・。

 

一方、お試し期限1年後に移った、県境の市営住宅(災害公営住宅、築7年目)は戸建て1SLDK(55平米)でこちらも日当たり良好。

地区は津波が地区の中心部をさらったので商業施設はなく(★平地は建築不可)、郵便局まで2.3キロ、スーパーやコンビニ、ホームセンターは10キロ先です(限界集落と呼ぶ方も?)。

車のない高齢者は「生協の宅配(週一)」やスピーカーを鳴らしてやつてくる各種「定期訪問カー」が生命線?

二桁本数があるBRT(JRバス)がなければ一日3本(土日祝2本)の地元バスではかなりやばそうです(タクシーは街まで片道4000円〜でまだ姿を見たことはありません)。

高台の集団移転団地内で戸建て住宅が隣接し、年3回の草刈りや集会所の掃除以外住人と顔を合わせる機会はあまりありません(車社会)。

前の場所「空いたらなかなか埋まらない市営住宅」よりも「さらに埋まらない」場所。築6年の戸建市営住宅の3分の1は空き家で、空く一方です。

 

プロパンガスは割高で、下水道代込水道代は1立方メートル(最低単位)使用で2600円から。

隣の集落までは郵便局に行くくらいで付き合いはあまりない?とか。

日々お姉様がたは公園会議で、通れば「バレバレ」、、、(話が大きくなるうわさに注意)。

監視が行き届く分、どろぼうや強盗とは限りなく無縁そうです。

合併した市内から来た方は「よそ者」と言われているとか?(本人談)

自分は「○○(県央の都市名)の人」と、、、。

地域以外の話にあまり関心はなさそうです。

「震災後、上(高台)の人と下の人が別れて、一緒に行事に参加したがらない」とか(地元の方談)。

なぜか「各種お知らせが回って来ない」ので行事に参加したくてもできないことが何回か、、、。

 

のんびり感に(多少?の)閉塞感、、、。

それでも、窓から見える四季折々の風景にこころは和みます。

今は木々も色づいて、、、。

生活に店(施設)や手段で「選択の余地」は多くなく、「不便さ」があることは確かですが、そこはネットの時代。

その不便さを肯定的にとらえられる方ならOK。

各種イベント(催し物)は人口なりです。

「進学」はやはり都市部が有利です。

「結婚」「子育て」は工夫次第かと。

「仕事」は技術職か手に職がある方以外は厳しそうです。

給料や休日の少なさと残業の(少)なさを感じますが、あまり「時間に追われている」感じはしません(「日祝のみ休み」もちらほら・・・)。

なので車の運転は「基本ゆっくりゆったり、譲り合うことに慣れた」土地で、通行はすこぶるスムーズです(実家のある県央とは正反対か・・)。

 

「子育ての終わった方」「仕事の第一線を退いた方」には、今まで歩んできた道を、ゆっくり振り返るにはいい環境かもしれません。

現役で働き街に住む方が、旅に出て非日常の時間を過ごすこと(リフレッシュ!)を日々行っているようなもの??

その、非日常がいつか日常へ、、、(自分)。

 

たまの「街中」は日々の生活で(自分)。

ごくたまの「都会」は刺激を受けに(自分)。

そして、毎年の国内外の旅を目標に(自分)。

 

休みが少ないと泊まりがけの旅行も少なく、生涯で訪れても東京止まりで「東京以西」は未知の方々が多い?

あまりご縁はなさそうな”旅”。

「”旅”の伝道師」に活躍の場はありやなしや??(う〜ん)

ならば、自然豊かな景色に合わせて、ゆーるりと生きましょう・・・・・(介護等近くに控えてはいますが)。

 

県境は「BRT(バス)」様さま この先は  No.365

毎朝、10月に続きいい天気の空をながめ、この時期現れる「様々な種類の雲」を楽しんでいます。

朝晩霜が降りる4度以下の気温でも、まだこの時期(2週間前)は活発に動く「カメちゃん(カメムシ)」を室内に発見!(ついに出たか、、、)。

と、すぐどこぞやへ、、、(ノソノソ、、、)。

翌日。

ガラス越しに素早くスルスルと降りてきたクモが、捕まえて上に持っていったのは「一匹のカメちゃん」(昨日のカメちゃん外行った?)。

11月中旬には朝0度昼9度10度になり(西日本の真冬なみ)「朝、タイヤのスリップに注意」とアナウンサー。

8月6日に「黙とう」の案内がスピーカーから大音量で流れた、目の前の「防災無線」は朝昼晩チャイムを響かせますが、今日も夕方6時は「♪遠〜き〜山〜に〜日〜は落〜ちて〜♪」。

厶?と、調べてみたところ「ムソルグスキーのはげ山の一夜」でした。

そうです、ロシアの作曲家です。

音楽に罪はなく「国境」もありませんが、生活に存在する「国境」が今回のような悲劇を繰り返している、、、。

 

ふとした時に「思うこと」が先日もありました。

表の国道を走る「BRT」。

震災後JRが新たに運行を開始したバスと既存のバスで「運賃」に「差」はないのだろうか?

確かBRTはバスでも鉄道運賃と同等なはず、、、。

そこで調べてみると、そこには明らかな「違い」が、、、。

最寄りの駅まで13.5キロ、240円のバスはたしかに安い!

一方、既存の地元のバスは一部元鉄道路線を通るBRTとは違うルートを走るものの、「駅の800m手前のバス停」まで650円でした。

県央の実家は最寄り駅から11キロで660円。

「安くてほぼ毎時あるBRT」

一方「(比較して)割高な一日3本(土日祝2本)の地元のバス」

これでは自ずと結果は明らかです。

どうりで乗客を見かけないわけです(地元のバスは)。

それでも地元のバスは終点が「市立病院」なのが救い(?)ですが、それすらも「駅の手前のバス停」近くまで本数のあるBRTに乗り、乗り換えれば安上がりかと考える自分。

従来鉄道がなかった場所に震災でBRTバスが通り便利になった感ありありですが、本来は一日3本(土日祝は2本)で減便(廃止?)必至の地域です。

大都市のJR黒字の恩恵を受け、震災復興の象徴として運行されているようなBRT(様さま)ですが、考えること多い県境移住民です。

瀬戸内海、香川県観音寺市の沖合にある「伊吹島(いぶきじま)」は、減り続ける人口今や600人ほど。

名産カタクチイワシの加工品「いりこ」作りで島まで通う人たちがいるとか。

島の狭い道を「4人乗りの軽自動車バス」が走り始めたようですが、こちらでも(遠くはない)将来「似たようなバス」を見るのでしょうか?

現地では4人乗りでも「本数(停車場所)を増やして」好評、、、とすれば「抑えられた運賃」と「本数(停車場所)」が鍵かもしれません。

YH ユースホステル 昭和宿の今 吹上浜ユースホステル 日置市 鹿児島県 No.364

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。

 

吹上浜ユースホステル(鹿児島県 日置市廃業

鹿児島交通枕崎線 日置駅下車 徒歩圏 廃線 現在はバスで

ユースホステルのあった吹上(ふきあげ)浜(★地図の国道270号線の標識あたり)は鹿児島本線伊集(いじゅう)院(当時は町・今は日置市)から、鹿児島交通枕崎線で南下し枕崎まで行く途中にありました。

地図の南さつま市吹上浜の先で、路線の中心地「加世田市」が周辺の町と合併してできた市です。

お盆の混雑にもめげず、改造車両を含む気動車から客車(木造)、電車までさまざまな車両が運用されている九州をこまめに乗り継ぎ、。

夜行列車(普通)で長崎⇒博多から、かつての炭鉱の町筑豊の細かい路線を乗り、夜行急行「かいもん」(乗車率100%)で鹿児島入り(何度目でしょう?)。

道中、「沿線火災で遅延」すれば乗り換え危うし・・・・・。

「きつねうどん200円」「佐賀駅のかにちらしすし500円」「桜島船代60円✖2」「きくらげ入りかごしまラーメン400円」が41年前の物価でした。

鹿児島市内を歩いた後、伊集院から乗った「鹿児島交通枕崎線」のディーゼルカー気動車)は時速30キロばりの速度でゆ=るりと日置(ひおき)駅に到着。

この砂浜のどこかで、北朝鮮工作船に日本人が拉致されたのが四年前の1978年だと意識することはなく・・・。

宿は、北海道の積丹半島にあった「積丹(しゃこたん)かもいユースホステル」と同じほど記憶に残る場所でした。

ちょうど夏の盛り(お盆)。

たくさんのホステラー(宿泊者)と浜辺まで行き、夕陽を見たのは「積丹かもいユース」と一緒。

浜の小屋でわいわいやりながら「回し飲み」。

飲んだモノと年齢は忘れました・・・。

宿に戻ってつぼ状の「五右衛門風呂」につかり・・・・・。

楽しかった思い出今もこれからも。

 

翌日、8月15日。

鹿児島交通枕崎線で再び南下し、加世田駅(現南さつま市)構内で「B20型のSL3両」に遭遇し、たいそう興奮したようです。

「B20型蒸気機関車」は第二次世界大戦前後に製造された、主に「入れ替え作業用小型機関車」のことです。

「B」なので車輪がふたつしかない、かわいらしい大きさ(客車をけん引していたこともあるようです)。

枕崎から現存するJR指宿(いぶすき)枕崎線で右手に開聞岳と錦江(きんこう)湾を見ながらゆっくり鹿児島市内へ。

その日の夜行列車(博多行き急行「かいもん」乗車率150~175%)が旅じまいの始まりでした。

翌日、一日で周りきれなかった「筑豊」の残り路線に乗り、生涯で唯一体験した寝台特急ブルートレイン)「あさかぜ」で下関から一路東(横浜)へ・・・・・。

途中乗り込んできた、後続のあさかぜ(1日2本でした)と勘違いした人たちに強引に席を占有されるトラブルもありましたが・・・。

数えてはいませんが、今では二度とできない、とんでもない列車本数に乗れた過去。

良くも悪くも「国鉄日本国有鉄道)」の黄金時代に感謝して、、、。

 

諸経費を見たら、

九州ワイド周遊券17300円(関東から)、(寝台)特急券+寝台券9600円を含め、夜行列車をフルに使い、込々20泊21日で約90000円だったようです(費用はアルバイトで)。

今と違うのは、カメラの「フィルム代・電池代」があり、携行品に「缶切り」「サンバイザー」があったこと。

 

ユースホステル代は2500円。

現在建物は現存するものの、営業は行っていない模様・・・・・。

もし再度訪れる機会があっても見ないでおきましょう(建物)。

 

訪れた宿の数「65」のうち

廃業した数57
今も営業中8(うち休館中2)

YH ユースホステル 昭和宿の今 ルノワルユースホステル みやま市 福岡県 No.363

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。

 

ルノワルユースホステル(福岡県 みやま市瀬高町廃業

鹿児島本線 瀬高駅下車 徒歩

お盆前の8月11日。

この日の行動は不可解で、再び大宰府天満宮)を訪れているとは・・・(そんなに”学問”の探求をしたかったのか?・・・なわけない)。

ロッカーに荷物を預け、博多から鹿児島本線の「特急かもめ・みどり17号(長崎・佐世保行き)」に乗り13分で二日市。

ふたたび西鉄に乗り換え大宰府へ。

そこで、名物「梅が枝餅」を60円で食べた記録が・・・(力うどんも・500円)。

そこから西鉄福岡(天神)駅にわざわざ戻り、博多駅まで移動、再度鹿児島本線の乗車率200%の「特急有明25号」で南下して宿のある瀬高駅へ。

特急自由席が乗り放題になった「周遊券」を使い、若き鉄道ファンのやることは、今では想像をはるかに超える「乗りっぷり」です。

「鉄道に乗ること」が目的なので、観光や飲食は重要視しておらず・・・・。

 

ユースホステルのある瀬高から翌日訪れたお隣「水郷の町」柳川。

船に乗り川下り(お堀めぐり)で、城下町の古い街並みをゆっくり進むのがおすすめです。

スタンプは郷土出身の詩人(北原)白秋とその詩にも詠われた、瀬高町清水寺周辺で作られている郷土玩具「(清水)きじ車」。

 

宿代は2200円と当時でも割安でしたが九州で泊まった宿では一番だったようで(「大宰府」とこちらのみ夕食で◎でした)、記録には「家庭的、富食。○○ツアーもあって、割引情報もやってます。連泊したかったわ」。

現在建物は現存するものの、営業は行っていない模様・・・。

 

訪れた宿の数「65」のうち

廃業した数57
今も営業中8(うち休館中2)